龍馬ゆかりの地を訪ねて  
龍馬ゆかりの地を訪ねて
坂本龍馬好き乗務員の厳選スポットです。
・ ご希望のコースを選んでいただくのもよし
・ お好きなスポットをセレクトされてもよし
龍馬好き乗務員による解説付きで、ご希望のスポットへご案内いたします。
幕末の動乱を駆け抜けた龍馬ゆかりの地 京の街をご一緒に訪ねませんか?
寺田屋
寺田屋
寺田屋は龍馬と大きくかかわりがあった場所で龍馬の定宿として知られ、寺田屋小説に登場する「お登勢」が宿の主人で後に龍馬の妻となるお龍が龍馬の危機に素っ裸で駆け上がった階段とお風呂も史実に基づいてあります。当時の寺田屋は鳥羽・伏見の戦いで消失しており、現在は再建されています。
薩摩島津伏見屋敷跡の碑
薩摩島津伏見屋敷跡の碑
薩摩島津伏見屋敷跡の碑
寺田屋で襲撃された龍馬が三吉慎蔵とお龍に助けられ難を逃れたのがここ薩摩伏見邸です。現在は大手酒造会社になっています。
竜馬通り商店街
竜馬通り商店街
寺田屋を脱出した龍馬はこの竜馬通り商店街の屋根づたいに逃げたというエピソードが残っています。『幕末維新回廊』というキャッチフレーズのとおり周辺には寺田屋をはじめ幕末関連の史跡も多く、龍馬寿司や龍馬漬けなどの一風変わった龍馬グッズも豊富に揃っています。

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池田屋
池田屋
新撰組の名を一躍轟かせた事件の舞台です。望月亀弥太、宮部鼎蔵ら尊皇攘夷派と近藤勇率いる新撰組と死闘が繰り広げられ双方多数の死者を出しました。現在は居酒屋になっており、騒動の碑が残っています。
酢屋
酢屋
木屋町の高瀬川近くに位置する材木商で初代当主から現在まで十代目、280年続いている。 高瀬川沿いは各藩の藩邸が立ち並び伏見、大阪との連絡にも格好の地であった為、龍馬はここを海援隊本部にしたようです。龍馬は酢屋の人々から才谷さんと呼ばれ二階の部屋に住んでいたそうです。酢屋の前の道は通称『龍馬通り』と呼ばれています。
土佐稲荷 岬神社
土佐稲荷 岬神社
創建は1348年(貞和4年)に遡り、もとは鴨川の中洲の岬にありました。江戸時代の初め頃に土佐藩邸内に遷座されたもので、坂本龍馬などの土佐藩士のほか地域の人々の信仰が深く、参拝のために特に龍馬像藩邸内への通り抜け参拝を認めていたという事です。 明治4年に土佐藩邸が売却され祠も別の地に遷されたのですが、近江屋の初代が旧土佐藩邸用人屋敷を買い取り、1887年(明治20年)にこの地に遷座させました。そして、1917年(大正2年)に先斗町や木屋町など近在の信徒が浄財を集めて祠を建立し、今日に至っています。現在、宮司は八坂神社の宮司が兼任しているとの事です。境内には桂浜にある龍馬像の小さいサイズがあります。
土佐藩邸跡
土佐藩邸跡
木屋町通りの三条と四条の中間、蛸薬師通りの南側にある立誠小学校跡が土佐藩邸があった場所です。酢屋からは南へ300m、龍馬が暗殺された近江屋からは河原町通りを隔ててすぐ東向側とごく近い場所に位置しています。
近江屋跡
近江屋跡
慶応3年11月15日、醤油商近江屋の二階にいた龍馬と中岡慎太郎は数名に襲撃され、両名とも暗殺されました。龍馬33歳、慎太郎30歳という若さでした。現在は繁華街の傍らに石碑が残るのみで史実によると、近江屋跡の前の歩道の上辺りに二人が暗殺された部屋があったといわれています。

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坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
坂本龍馬・中岡慎太郎の墓
龍馬と慎太郎の墓の前には小さな鳥居が立ってます。周りにはファンのメッセージが綴られた色紙が並び、二人の人気の高さがうかがえます。龍馬の命日の11月15日には龍馬祭が開催され当日、参拝者には龍馬が好物だったといわれる軍鶏(シャモ)鍋が振る舞われる催しがあります。
霊山歴史館
霊山歴史館
幕末、明治維新のことならなんでもこいというぐらい収集資料は5000点をこえます。 常設展示では厳選された約100点の資料が並びます。
龍馬坂と霊明神社
龍馬坂
二年坂から霊明神社へ向かう道を「龍馬坂」と呼びます。近江屋で刺客に襲われ命を落とした坂本龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉の3人の葬儀がとり行われました。3人の遺体は勤王の志士の聖地である霊明神社の境内に葬られる事となり、この道を通って霊山へと運ばれました。大勢の人達が見送ったと言われるこの道も、今では訪れる人も少なく、静かな佇まいを見せています。

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